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ブルベのライドレポートを書いていきます

BRM918東京1000いってこいビワイチ ライドレポート (3/4)

 1000 kmブルベ いってこいビワイチ、一夜明けて2日目。今日はいよいよメインディッシュのビワイチが待っている。

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東横INN名古屋金山 (333 km) ~ 通過チェック3 米原 (412 km)

 5時に目覚ましで起き、簡単に身支度を整えて5時半にホテルを出た。連泊だと荷物の整理が楽で助かる。ホテルを出てすぐのファミマで軽めの朝食とボトルの補充をして出発した。

 昨日に引き続き今日もかなり天気がよく、まだ朝なのに暑いほど。名古屋市街を早々に抜け、木曽川長良川を渡ると岐阜県に入る。海津の広域農道は信号も交通量もアップダウンもほとんどない個人TT区間。ここで使わずにいつ使うとばかりにクリップオンバーを握ってみた。今回が初実戦投入だったのだが、バーに対して肘パッドの位置が中心に寄りすぎていたため、かなり肩をすぼめないといけなかった*1。空気抵抗は多少軽減できているのだろうが、いかんせん姿勢がつらく長時間は保たなかった。とはいえ、バー → 下ハン → バー → …… とポジションを変えながら走れるので、疲労軽減には確かに一役買ってくれている。

海津の広域農道。周囲に最大限注意しつつクリップオンバーを握ってみた

 広域農道を抜けると関ケ原への上りが始まる。とはいえ平均斜度は1%で、旧道に入ると少し登る箇所もあるがせいぜい8%といった程度。木々の間を走っていくのは身延以来だ。そうこうしているうちにR21、現中山道に合流し、関ケ原の標識が見えてくる。ここから滋賀県だ。

気付いたら関ヶ原を越えていた

 関西出身のくせに知らなかったのだが、コースプロファイルを見ると琵琶湖沿岸の陸地は標高100 mほどあるらしい。そのため標高0 mの名古屋から関ケ原を超えると上りに比べて下りが少ないようだ。しかしどちらも緩斜面なためそれほど不公平感はなかった。少々交通量は多いが、比較的きれいな路面を気持ちよく下っていく。

 米原が近づくと一旦中山道を外れて裏道のような道に入り、少し走ると米原の古き良き街並みに抜ける。JRをまたぐ高架からはJR西の車両が見え、関西まで来てしまったことを実感した。高架を降りるとすぐに通過チェックのファミマだ。

通過チェック3 米原 (412 km) ~ 通過チェック4 海津大崎 (459 km)

 時刻は朝9時頃。2度目の朝食としてヨーグルトとぶどうジュースを購入、ボトルにソルティライチを補充して再出発。1 kmほど進んでT字路に突き当たると、目の前には広大な琵琶湖が広がっていた。

気づくと眼前に琵琶湖が広がっていた

 さて、やっとタイトルのビワイチが始まる。天気もよく、最高のビワイチ日和だ。ビワイチは3回ほど走ったことがあるが、今回も思い出に残るライドになること間違いない。

 道の駅 湖北みずどりステーションを過ぎたあたりから一旦湖岸を離れ、のどかな田園地帯を抜けていく。

長浜北部。サイクリング中に出会うこういう風景が好きだ

 琵琶湖北岸一帯はトンネルが多く、初見では迷いがちだが、今回はGPSナビがあるので安心だ。一部10%を超える激坂があったが、なんとかクリア。木々に囲まれた北湖特有の雰囲気を楽しみながら湖岸の道路を進んでいくと、フォトチェックポイント海津大崎に到着した。

フォトチェックポイントの海津大崎に到着

通過チェック4 海津大崎 (459 km) ~ 通過チェック5 ビワイチ起点 (528 km)

 フォトチェックとして指定された看板がどれなのかいまいち分からないまま、念のため数枚写真を撮って再出発。琵琶湖北端からマキノに差し掛かると趣のある集落へとつながっている。飛び出し等に注意しながら地元の方の迷惑にならないよう進んでいく。しかしこの集落の雰囲気、なんとも懐かしい。湖だけでなくこういった情景も楽しめるのがビワイチの魅力の一つだと思う。

近江今津。どこまでも広がる空と湖に心奪われる

 しばらく行くと再び湖が見えてくる。気温もかなり上がってきたので、チェリオの自販機で着色料色のラムネを一気飲みした。こういう人工的な甘みが今はありがたい。

 近江今津からは湖岸をトレースせず内陸をショートカットするコースをとる。一度コンビニでトイレ休憩を入れ、ドリンクを補充した。近江高島で再び湖岸に復帰し、少し進むとビワイチ屈指のフォトスポット白髭神社に到着する。道幅が狭いため、周囲の車両に気をつけながらささっと写真を撮る。ここの水はいつ見ても澄んでいて綺麗だ。

ビワイチ随一のフォトスポット、白髭神社

 さて、白髭神社を過ぎてからはビワイチで毎度おなじみの渋滞区間。といっても車列は流れてはいるので、焦らず進んでいく。北小松を過ぎ、県道に外れてからは車もほとんどなく快適に飛ばすことができる。次第に琵琶湖大橋が近づいてくる。いつものビワイチではこのあたりを走っている頃には大抵日が暮れているため、真っ昼間にここを走っているのは不思議な感覚だ。

 琵琶湖大橋西端、堅田を過ぎると景色は一気に都会になる。合わせて交通量も増えるが、焦らず進む。しばらく進むと京阪京津線の終点、びわ浜大津が見えてくる。いつもここを起点にビワイチをしていたため、この景色を見るとビワイチも終了かと思ってしまうが、今日のビワイチはまだ70 kmも残っている。ちょうど今日の走行距離も200 km近くなっていたこともあり、ビワニをしているかのような気分で浜大津を通過した。

浜大津。ここに来るとビワイチも終了かと錯覚してしまう

 5 kmほど走ると琵琶湖南端、瀬田の唐橋に到着。忘れずフォトチェックを済ませる。

琵琶湖最南端、瀬田の唐橋を渡る

通過チェック5 ビワイチ起点 (528 km) ~ 通過チェック6 米原 (598 km)

 時刻は15時頃、少し疲れが出てきた。どこか座って食べられる場所はないかと牛丼チェーンを探したが意外と見当たらない。仕方ないのでコンビニの駐車場でそばをすすった。

 久々の固形物で腹を満たしたところで再出発。次の通過チェックは往路でも寄った米原のファミマだが、その前に寄りたいところが一箇所あった。それが烏丸半島の芝生広場。というのも、一週間後にここでイナズマロックフェスが開催されるのだ。その下見も兼ねて寄ってみた。

一週間後にはイナズマロックフェスが開催される烏丸半島

 ……当然だが、ただの芝生広場が広がっているだけだった。まぁこんなもんかと数枚写真を撮って退散した*2

琵琶湖大橋を望む

 気を取り直して再度出発するが、さっき食べた固形物の消化に血が回っているせいかどうも眠気がひどい。体感15分ほどだろうか、水門付近の道幅が広くなっているところで仮眠を取った。眠たいときは寝るに限る。おかげで頭もスッキリし、再び走り出した。

ふと見上げた空が綺麗だった

 近江八幡からビワイチルートを外れて内陸部を走る。そのまま彦根城に突入するのだが、ちょうど夕暮れが一番綺麗な時間帯に重なった。

夕空に彩られる彦根城のお堀

 夕空に見とれながら彦根城を通過し、本日2度目の米原のファミマに到着したのは19時頃だった。

通過チェック6 米原 (598 km) ~ 通過チェック7 名古屋 (674 km)

 さて、本日の行程も残り80 km弱。りんご味の三ツ矢サイダーでリフレッシュし、股ズレが少し痛み出したのでプロテクトJ1を塗り込んだ。夜道に備えてbluetoothスピーカーを取り出して再出発。シャッフル再生で1曲目にかかった グレープフルーツムーン / 夏川椎菜 は名月の今夜にぴったりだった。

 ここからはもと来た道をひたすら辿っていく。集落から裏道を抜け、緩斜面を登ると関ケ原へ。今回のビワイチもいい思い出になったと滋賀に別れを告げると、養老に向けてロングディセントが始まった。

十六夜の月明かりのもと関ケ原を越える

 対向車のハイビームと決して良くはない路肩の舗装に苦しめられながらも、なんとか中山道を脱出。しかしここからの裏道は街頭など一切なく、正真正銘の真っ暗闇だった。アニマルアタックだけは勘弁してくれと念じながらスピーカーの音量を上げる。Breaking the Dark / 雨宮天 ……シャッフル再生の選曲がやたら的確で笑ってしまう。

 なんとか暗闇区間を脱出し、養老の市街地を抜けて海津の広域農道に至る。朝は見通しも良かったためTTポジションを取ることができたが、日が暮れて路面状況を把握できない今は大人しくブラケットと下ハンを握り替えるぐらいしかできなかった。それにしても虫の量がすごい。おちおち口を開けて走れないレベルで難儀した。

 木曽川長良川を越えると本日の行程は残り20 km。ここまで来ると気持ち的にもかなり楽で、次第に明るくなっていく街の景色に心を癒やされながら進んでいった。途中名古屋市街の明かりも遠くに見えた気がする。

 本日最後の通過チェック、セブンイレブン名古屋篠原橋通2丁目店に到着したのは23時前。プロテインを補給し、あまりの空腹に近くのすき家で特盛牛丼を頼んだが、さすがに疲れていたのかあまり箸が進まなかった。

 昨日と同じ東横インに帰還し、持参したウェスでチェーンを軽く拭いてウェットルブを継ぎ足し。それなりに貯金は作れているので、今晩はゆっくり寝ることにした。

*1:両手をクロスさせ、小指をバーの連結部に引っ掛けるようにすれば肩が張らないということに気づいたのは3日目のこと

*2:ちなみにイナズマロックフェスだが、目当てのアーティストの登場日だけ台風で中止になったため、結局現地には足を運ばずじまいだった。無念。